創立50周年記念誌 幸せな未来をつくる対話の力
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38Part 3 1970年当時、都立高校の看護教諭として産休明けの育児と仕事の両立という厳しい現実に苦悩していた時、「女性の会社・赤ちゃん110番・起業家・今野由梨社長」の紹介記事が目に飛び込み、ここならキャリアを継続できるかもしれないと面談をお願いして転職。当時、「今野学校」と呼ばれていたほど、社長と共に創業した有志の先輩女性たちから、仕事スキルの薫陶を受けられたのは最大の幸運でした。ダイヤル・サービスでは、「あなたが仕事をするためにはどうすればいいの?」と問われ、希望を相談。「就労時間数より仕事の質で評価しましょう」と。そのおかげで育児しながらの契約社員でも「生活科学研究所」の部長職を任じていただいた時のうれしさ! その期待に応えようと、家族で会社近くに引っ越しました。保育園の迎えと夕食の団らんを過ごした後、再度出勤。今でいうフレックスタイム、リモートワークの先駆けを実践させていただきました。あれから40年。私のキャリアが途絶えることなく継続できているのは、ダイヤル・サービスの柔軟な先駆的個別対応のおかげであり、何より、“自分を発揮してよい。助けてもらってよいのだ”という職業人としての深い信頼感を育ててくださった今野社長の姿勢そのもののダイヤル・サービスの社風のおかげです。OGたちからのメッセージダイヤル・サービスを支えてきた先輩たちは、時代を先取りしたサービスを次々と生み出してきました。どのような働き方でそれを実現してきたのでしょう。「今野学校」と呼ばれた仕事場当時からフレックス&リモートワーク1970~1980年代のダイヤル・サービスの働き方 原宿のダイヤル・サービスに就職したのは20歳の時です。フリーランスで活躍する皆さまを支える「テレホン・アンサリング・サービス(TAS)」の仕事はエキサイティングでした。 中高生を理解し、支えたいと開設した「ヤング・オリジナルで画期的なサービス創出たけながかずこ(近藤和子)(マザーリング&ライフマネジメント研究所 所長)1973年~1980年電話相談員、生活科学研究所部長として在籍近藤則子(老テク研究会事務局長)1977年TAS、1980年~1987年「ヤング・トーク・トーク・テレフォン」担当として在籍トーク・トーク・テレフォン」は、若者同士の楽しいおしゃべりやオリジナル電話コンテンツが大人気になりました。つくば科学万博の「電話パビリオン」も画期的なサービスでした。 あれから45年。現在はスマートフォンを購入したけれど使いこなせずに困っているという人たちを支援するボランティア活動に取り組んでいます。

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