創立50周年記念誌 幸せな未来をつくる対話の力
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12日本初の電話育児相談 日本初の電話育児相談「赤ちゃん110番」開始社会のニーズをキャッチして新サービスを創造Part 11971年 電話秘書サービス(TAS)事業が軌道に乗ったころ、電話が生活者の情報を発信するメディアになる日がやって来ます。マンツーマンで話すことができる親密性の高いメディア「電話」を使って、双方向で「対話」しながら、新しい世の中をつくっていくことができるのでは…。今野はそんな確信をもって、誰のために、何を、どうサービスするか、それが成り立つためのビジネスモデルはどのようなものか、を模索していました。 その頃の日本経済は高度成長を続け、家族形態は都市集中傾向の中で核家族化していました。この時代に表面化したのは、いわゆるコインロッカーベイビーズや育児ノイローゼの問題。「電話こそ人と人とをつなぐヒューマン・コミュニケーション・ツール。この双方向性の電話相談で育児の知恵と経験を伝えあい、支え合うことが、今、最も必要ではないか」。これが日本の「電話相談」のスタートラインとなったのです。 1971年9月1日。日本初の電話育児相談「赤ちゃん110番」が始まりました。運営資金捻出のため、今野は日本電信電話公社(当時)に「情報料の受益者負担でサービスを享受できるよう」提案しましたが、当時は「法律違反だ」と一蹴されました。スポンサーも見つからず、手弁当で行う育児相談から始めたのです。 開始当日、朝日新聞全国版に取り上げられ、電話回線がパンクするほどのコールが鳴り響きました。その後、「赤ちゃん110番」はやっとのことで素晴らしいスポンサーと出会うことができ、子育て中の母親たちのためにサービスを事業化することができました。 母親とともに考え、解決策を探ってくれる相談電話は鳴りやみませんでした。赤ちゃんとの生活に関わるあらゆる問題が相談として飛び込んできました。医療的な確認が必要なことは、病院の専門医にコンタクトを取って教えていただき、育児用品の問い合わせには、メーカーや関係機関に取材し、製品を取り寄せて、自分たちの目で確かめ、正しい情報を伝えるようにしました。 「飲まない」「食べない」「からだの心配」「ちょっと気になる」といったことで真剣に悩む母親に、同じ経験をくぐり抜けた人が相談員となって悩みを受け止めてくれる…。それは母親たちにとって大きな安心感につながりました。 2019年の今、児童虐待の事件は後を絶ちません。1970年代の「赤ちゃん110番」にも「赤ちゃんの泣き声がたまらない。布団を赤ちゃんにかけてしまった。私、殺しちゃうかもしれない」と取り乱した声の母親から電話が入っていました。母親は産後の育児疲労がたまり、周囲のサポートも受けられない状態。でも、誰にも言えなかった気持ちを吐き出すうち、少しずつ落ち着きを取り戻したようでした。相談員の「実は私も育児に全く自信がなくなってしまったことがあるの」との心情の共有にもホッとしたようです。 誰かに気持ちを聴いてもらうことが、「人の命」をも左右する大切なことであり、重要な務めを果たしていることにスタッフ一同気を引き締めたものでした。対話が子どもの命を守った母親たちのリアルな声に奔走する日々1971年当時の「赤ちゃん110番」

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