第21回 CSRオープンセミナー「震災後のCSR」を読む|セミナー

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第21回 CSRオープンセミナー
「東日本大震災と企業防衛」

「震災後のCSR」を読む

楠茂樹氏 講師略歴
上智大学法学部准教授
楠 茂樹 氏

CSRとは何か

 本日は「震災後のCSR」を読むというテーマで報告させていただきます。
 昨年、「ハイエク主義の『企業の社会的責任』論」(勁草書房)を出しました。本日はその内容も踏まえながら、震災という大きな事象がCSRのあり方にどのような影響を与えるのかについて、簡単にお話しさせていただきます。

 企業人の方でもCSRとどう向き合ったらいいのか、CSRは接しにくい、と思われている方は多いと思います。なぜかというと、CSRは自由市場の存在と矛盾するのではないかと思われているからです。これについては1970年にミルトン・フリードマンという経済学者が有名な論文を書きました。自由市場において企業が果たすべき義務は、マーケットのニーズに応えるものであり、それで十分社会的責任は果たされていると。もちろん、そのマーケットというものが、よろしくない社会的な影響を与えるのであれば、それは規制の問題であって、企業がそれ以上のものを考えてやるということは、そもそも求められていないし、それ以上やってしまうと企業は誤った判断をする。むしろマーケットのニーズに応えない、マーケットを破壊してしまうような結果を招くことになるのではないかと指摘したのです。
 今はステークホルダー・マネジメント(ステークホルダーの利益を重視しながら経営を行うこと)が、企業にとってのCSRだというところで落ち着いています。しかし、これはほぼ思考停止状態の考え方です。そもそもステークホルダーというのはどういう人たちのことをさすのか、従業員、取引相手、一般消費者、社会一般なのかについて、きちんと議論されないまま、自社にとって都合のよいステークホルダーを持ち出して「CSRをやっています」と言うわけです。結局ステークホルダー重視の経営が「企業利益になるから」という理由で支持されているだけであって、結局はそのマーケットのニーズに応えるということと変わらないということになるわけです。これもまた批判されています。

2種類の社会

 私の本にハイエクという哲学者が登場します。ハイエクによれば、社会には2つの社会がある。それは「開かれた社会」と「閉じた社会」です。ハイエクは自由市場というものを擁護する有名な哲学者であり経済学者です。そのロジックは、「開かれた社会」を擁護し、「閉じた社会」を批判する形がとられます。「開かれた社会」というのは市場経済のグローバルな経済社会というものを念頭に置いている。そこでは宗教、文化、人種といった制約を越えて拡散し、様々なメリットをもたらす」そこには、個人主義的な世界観があるわけです。
 一方の「閉じた社会」はどうか。それは全体が個人に優位するような社会です。例えば教会、郷土、学校、職業別集団等は「閉じた社会」の典型例だと言われています。宗教、文化、人種というのは、制約を越えて拡散するものではなく、属性を持った集団のみに通用する秩序があるのです。これらは自由市場とは性質の異なるものです。
 CSRというのは、この2つの世界の中間点でよく出てくる概念です。アメリカではCSRという概念が定着していません。あるのは個人のチャリティーです。企業活動としてCSRはしないというのが、アメリカ的な発想です。米国で最も読まれているマイケル・ポーターとマーク・クラマーが2人で書いた有名な論文では、あくまで競争優位を確立するためのビジネス戦略としてCSRが描写されています。一方、ヨーロッパでは個としての企業と全体としての社会がCSRを通じて、調和される世界だと言われています。もちろんヨーロッパでも非常に利己的な企業はあるでしょうし、CSRに全く関係のない企業もあるかと思いますが、一般的な性向としてはそう言われているのです。
 日本のCSRの概念は、欧米と比べはるかに迷走しています。なぜかというと流行りでCSRをやるからです。先ほど郷原先生がおっしゃったような思考停止状態でCSRを取り込もうとするから、何かやればいいんじゃないかという言い訳的な発想に陥るのです。結局、CSR報告書を出して終わりになることが多々あります。

震災は何を教えるか

 大震災後、外資の多くは東北、東京、日本を去っていきました。要はこの国にコミットメントがないからです。日本企業は去ることができません。あるいは日本にコミットメントがある外資は去ることができません。この反応がこれからのCSRを決める大事な要素になると思っています。
 今、「オール・ジャパン」で復興しましょうと、キャンペーンが展開されています。日本企業、外資も含めた日本にコミットメントある人々はみんなで支え合おうということなのですが、このことの意味するものは何か。それは全ての企業がこの国の復興を支える重要なプレーヤーであるというメッセージだということなのです。先ほどのハイエクの分類に従えば、震災という事象によってそれまで「開かれていた社会」が、強制的に閉じる方向に向かっていったということです。今までは「閉じた社会」は、家族や地域コミュニティーといった狭い範囲のものだったのですが、大震災という有事に直面して、日本は全体として共同体化したのです。

いくつかの不安定要素

 ですが、時間が経てば再び社会は開かれた状態になります。相互扶助から自己責任の状態に戻るのです。ですので、有事におけるCSRブームは時限立法のようなものなのです。復興という、ある種の共通了解の下だけで通用するCSRなのです。ずっと世の中が閉じたままになるとは限らない。むしろ一時的なものではないかと思います。
 このような特殊な状況下でさえ、CSRの抵抗勢力が存在します。それは何と言っても株主です。特に公開会社の場合はのっぺらぼうな投資家が会社の性質上、予定されています。のっぺらぼうな投資家は回収額が投資額を上回ることを前提に投資します。社会とインターフェイスを有する企業は、のっぺらぼうな投資家の要請と社会の要請との間で選択をしなければならないのです。儲かるからやる、そうでなければやらないというのであれば、それはアメリカ的なのかもしれませんが、それは見方次第では有事を食い物にしているだけのようにも映ります。
 企業を支えるステークホルダーはグローバルに存在します。日本だけではありません。日本だけだったら、オール・ジャパンでいいかもしれませんが、それを海外のステークホルダーにどう説明していくのか、というような問題があるわけです。よくCSRを企業に説得する際、持続可能性という用語を持ち出しますが、のっぺらぼうな投資家の典型である海外の投資家はそんなことに興味はないのです。表面的には称賛しておきながら、投資の回避という黙示の抗議にでるだけです。
 一般消費者はどこまで社会的か。いわゆる高度成長期や、戦後の復興を考えれば全国民が同じ意識を共有できたと思いますが、現在、国民が同じ課題に直面できるかというと、不安な面があります。サプライチェーンを全国に張り巡らしている企業の方々のほうがはるかにこの問題をリアルに認識しているのではないでしょうか。我々も東北の状況はテレビで見ることしかできません。日本人でも遠ければ遠いほど自分の問題じゃないと思っている人がいるかもしれません。ワイドショー的報道に慣れてしまった人々にはブラウン管の中の出来事にしか思えないのです。逆説的かもしれませんが、イマジネーションを自分で湧き立てなければならないネット・ユーザーの方が危機意識を持てるのかもしれません。日本人全体として一枚岩かというとそうではないのです。
 3月の大地震は企業にどのようなCSRを求めることになるのか。熱いキャンペーンに冷や水をかけるようですが、熱病のようなCSRの覚めたときの反動を考えるならば、今のうちに冷静にこの問題を考えておく必要があるのではないでしょうか。
 ありがとうございました。