第21回 CSRオープンセミナー「東日本大震災による社会の激変とコンプライアンス」

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第21回 CSRオープンセミナー
「東日本大震災と企業防衛」

「東日本大震災による社会の激変とコンプライアンス」

郷原信郎氏 講師略歴
弁護士 郷原総合法律事務所代表
郷原 信郎氏

大震災後のコンプライアンスの位置付け

 先週末、震災後初めて被災地である陸前高田市に行ってきました。実際の被災の状況をこの目で見て驚きました。海岸に一本だけ残った松を「希望の松」だと言った人がいたようですが、全く私は逆の印象を持ちました。あの陸前高田の状況は、松の木1本を残して、全てを破壊し尽くした、すさまじい破壊。そういう情景にしか私は見えませんでした。この状況から被災地をどうやって復興させていくのか、すさまじい破壊力にさらされた日本の社会をどうしていくのかを考える上で、私がこの数年間取り組んできたコンプライアンスというのは、どういう位置付けなのかが問題になるのです。
 コンプライアンスを単純に法令遵守というような捉え方をした場合、この大変な状況でコンプライアンスなんて言っている場合じゃないだろうと思われるのも無理はありません。ただ、私はかねてから、遵守という考え方、規則を、法令を、ルールを守ることが自己目的化することの弊害をずっと訴え続けてきました。その中で辿り着いたのは、組織をめぐるトラブルや不祥事の原因は、変化に適応できない、変化についていけない、ことにあるということです。

 日本の経済社会の変化はますます激しくなり、世の中が複雑化、多様化している状況があるからこそ、この数年間、様々な組織で問題が多発してきました。その典型が検察です。私は2010年11月に立ち上げられた、法務省の「検察の在り方検討会議」に委員として加わっています。検察の危なさが現実化したあの一連の不祥事を、組織の不祥事、組織のコンプライアンス問題と捉え、検察がどういう方向を目指して改革をしていけば社会的信頼を回復できるか、ということを考えてきました。
 その考え方をまとめたのが、2月末に出した「組織の思考が止まるとき」(毎日新聞社)という本です。本の前半では検察の問題を、組織の不祥事、コンプライアンスの問題として考えています。私がこの中で言いたいのは、この不祥事は一人の検事の単なる悪事でもなければ、単純な倫理観の問題などでもないということです。検察という組織がこれまで果たしてきた固有の役割や社会の中での位置付けが変わり、環境変化の中で新たな機能を果たすことを求められていたのに、検察という組織の閉鎖的で、組織の中で自己完結してしまうという特徴、外から介入を受けることなく自分たちが独立して判断することが全て善だという特殊な組織のあり方そのものが、この問題の根本にあるということです。
 私はこの検察の問題が、今後さらに急激な変化を遂げるであろう社会の中で、組織が社会から信頼され、社会の要請に応えて役割を果たすために、最も貴重な教訓になるのではないかということで、本の後半はコンプライアンスの基本的な考え方を改めて書きました。

思考停止させる神話

 2月末にこの本を出してから半月も経たないうちに、東日本大震災という大変な災害に日本は見舞われました。この状況下で、改めて変化への適応というコンプライアンスを考えたとき、震災後の日本のあらゆる組織が直面している状況に全て妥当すると考えています。変化に適応できなかったことが不祥事につながり、その対応を誤った検察。それは大震災という急激な変化の中で、旧来の平時型の対応しかできず、急激な変化に全く対応、適応できていない日本の社会、あらゆる組織そのものの姿です。今後、日本が震災を契機にどれだけ変わったかということを認識させられる機会が増えてくると思います。
 検察の世界で、今までその中心になってきたのは何だったのか、それは「検察の正義」という神話です。検察という組織は無条件に正義だという確信。検察官というエリートがやっているのだから間違いはないという信頼、だから正義だという確信に支えられてきました。
 そして震災後、今一番大きな不安の原因である原発事故の、根本的な原因は何なのか。根底にあるのは、原発の「絶対安全」の神話だと思います。この神話が組織を思考停止させたのです。組織の周辺にいる者を思考停止させる構造は、検察の正義の神話化と、原発の絶対安全の神話化とが非常によく似ています。検察の正義の神話化は、その正義を維持していくこと、その正義が確保されることが、組織において一番重要なことだという価値観を組織全体に蔓延させました。被疑者、参考人が言ってもいないことを調書にとり、脅したり、だましたりしながら署名を取るというやり方も、正義の前では、社会的に許されるもののような組織的な確信を生んでいき、そういう空気の中で検察をめぐる問題が発生してきました。事件の中で検事がやった証拠改ざん行為は、驚くような行為だとは思いません。検察の中では、具体的な真実に向きあうことよりも、検察が正義であるということの神話を維持することのほうが重要だという認識があります。

 それと同じく日本の原発は絶対安全神話に支えられてきました。原発は安全だという確信が維持されていくことが、原発を推進する立場の人たちにとっては絶対に重要なことで、逆に原発に反対する人たちは、絶対安全を絶対に否定することが目的化してきたのです。
 原発を推進する立場に立つと、より安全にという努力、アクションは、絶対安全だと言っていたのが嘘ではないかというような不安感を生じさせます。だからそういうことはやらない、安全なのだから考える必要はない、という対応をとってきたわけです。では、なぜ絶対安全なのか、という理屈は極めて単純なものでした。それは大地震が来ても、原発は安全に停止するという話です。新潟の地震でも原発は確かに止まりました。「やっぱり安全でしょう」と言われると、みんなそれなりに納得してきたわけです。ところが今回福島の原発事故が起きて以降、初めて本当のことがわかったのです。原発は止める、冷やす、閉じ込める。この3つができて初めて安全なのですが、止まるだけでは安全ではないということをこれまで知らされてこなかった。なぜか?  神話は単純でなくてはいけません。細かく緻密に分析された結果は神話にはなりません。今回も神話の世界であった、「絶対安全」の神話は崩れ、冷やすというプロセスで大きなトラブルが生じてしまった。それが今のこの悲惨な状況を招いているわけです。

ルールの創造とは

 今後のコンプライアンスが向かうべき方向性として示した「ルールの創造」とは、上から下へ法令を守れと押し付けるのではなく、現場の実情に沿った本当に目指さなければいけない価値、守らなければいけない価値、配慮しなければいけない事柄、そういったことの相関関係を踏まえたルールを創造し、活用し、状況や環境の変化に応じて修正していくことです。
 「ルールの創造」という考え方は、思考停止とは全く正反対の状態です。原発の絶対安全というのは、正に思考停止の典型です。何が必要だったかと言えば、原発の安全を巡って、どういう価値を目指していくのか、何を配慮していくのか、何かが生じたときに、価値と価値との関係はどう考えていくのか、という基本的なルールを明示し、そのルールに則って対応をしていくことが重要だったはずです。それができていませんでした。
 それはなぜか。事態に備えるということを「絶対安全」の考え方が阻止していたからです。我々は改めて今回の事態を踏まえ、急激に変化する震災後の状況の中で現場の状況に即したルールを作っていかなければいけません。それは震災前の日本の社会において、一応妥当としていた法令をそのまま遵守することでは、変化した日本社会における問題解決はできないということです。
 震災前の法令はすでに瓦礫化しています。しかし法令というのは、瓦礫化したから捨てればいい、というものではありません。震災後の価値観と価値観の対立の中で、どういう問題の解決方法を講じていったらいいのかというルールを作っていかなければなりません。それがこの日本の経済社会で求められるコンプライアンスそのものだと思います。
 日本の企業全体が置かれると予想される今後の厳しい状況を乗り越えていくためには、今までの日本の組織が持ってきた基礎的なパワーを越えた新たなパワーを生み出していかなければいけません。我々は今まで戦後の先人たちの高度経済成長の遺産、その果実で生きてきました。今回の震災でその多くのものが失われました。我々は新たな価値、パワーを作っていかなくてはいけない。そうなると、組織のあり方、仕事の仕方、人の評価の仕方、あらゆるものが変わらなければならないでしょう。これからの日本の組織で求められるのは、新たな知恵です。それを生み出す能力を評価していく組織内のシステムです。変化を敏感にキャッチして、組織のあり方を抜本的に変えていける能力を持った人間が大量に求められるようになるのではないかと思います。
 電力会社の問題に限らず、あらゆる産業、企業で大きなパラダイムの変革、今までの常識を超えた発想と人の能力が求められる状況です。そうした中でコンプライアンスを今までの常識を超えた新たな取り組みとして行っていくことが、大震災後の日本社会のコンプライアンスとして求められているのではないかと思います。
 ご清聴ありがとうございました。